カテゴリー別アーカイブ: ブランドヒストリー

ブランドヒストリー/ROLEX

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ブランドヒストリー/CARTIER


世界屈指の名門ジュエラーとして、誰もが認めるカルティエ。しかし、カルティエの時計は、単なるアクセサリーの傍流ではありません。1911年、3代目当主ルイ・カルティエが、時計史上に名高い「サントス」を発表して以来、今につながる市販腕時計の歴史の扉は、まさにこのブランドが開いたといえるでしょう。類い稀なるエレガントなフォルム。
伝統に甘えることなく常に改新を続ける姿勢。あの赤い箱を開く時、誰もがカルティエ世界の虜となるのです。


カルティエ初の腕時計は「サントス」でした。
20世紀初頭、初期のサントスを復刻した、プリヴェ・コレクション。
サントス・デュモンは、ベゼルの形状はそのままに、今も洗練されたカルティエ美学によって美しいフォルムを色濃く残しています。
19世紀、懐中時計が主流であった中、カルティエ3代目当主、ルイ・カルティエがパリの社交界で出会った、豪富ブラジルの飛行家、その名もアルベルトサントス・デュモンのために作った腕時計がカルティエ初の腕時計となりました。空への夢を追い続けるサントス、「飛行中に操縦桿から手を離さずに時刻を知りたい。」そんな、彼の熱い要望から、紳士の実用的、且つステイタスシンボルとなるような、腕時計をイメージしました。当時、腕時計といえば軍事用時計にしかすぎなかったために、天才的な発想を発起させたといわれています。そして、プリンスサントスとの歴史的な出会いから、今やカルティエの代表作となる「サントス・デュモン」の腕時計に生命が吹き込まれたのでした。

パシャ誕生の背景に。
ゴールドケースのみだったパシャ、1990年に入り、ステンレスタイプも発表されました。他には、ゴルフ用、ムーンフェイズ、クロノグラフなどの複雑機能を搭載するものも歴代パシャシリーズに挙げられます。
1930年代、モロッコ社交界の豪族花形マラケシュのパシャ、ハージ・タミール・エル・メズアリ・エル・グラウィ(当時最高政治責任者であった)は、モロッコ人でありながら、フランスに深く関心を抱き、仏文化人との交流を広く持ったという。そのなかにルイ・カルティエの姿があった。
豪胆なパシャの依頼。
「自宅のプールで泳ぐ時にも時刻がわかる腕時計が欲しい。」と。パシャの欲望を満たす、技術開発の術は、この腕時計の開発に託されました。防水、ガラス欠損防止のためのグリッドガード、そしてリュウズキャップ。腕時計パシャは、その誕生背景から強烈な幕開けを果たしたのでした。

腕時計に夢と新たな創造を追い続け、伝統を未来へ継承し続けるブランド、カルティエ。
さらなる美と技術の追求により、カルティエのあくなき改新は続く。

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ブランドヒストリー/FRANCK MULLER


神の手を授かった男、フランク・ミュラー
~若き天才時計師、隠された比類無き才能~

1958年7月11日、スイス・ジュネーブ郊外にある、ラ・ショー・ド・フォンに一人の天才時計技術師が誕生した。その名は、“フランク・ミュラー”。のちに、自らの名を冠したブランドを設立し、時計界の寵児となる。
幼い頃から無限に小さなものに大きな関心のあったフランク・ミュラー。スイス人の父からは精密機械へのこだわりを、イタリア人の母からは美的センスを受け継ぎ、時計という緻密な機械とその仕組みに心を奪われていった。
名門ジュネーブ時計学校の入学後もすべての学業をトップクラスで修得。
卒業後も稀少なアンティークコレクションなどの修復を任され、著名な時計コレクターやオークションハウスから絶大な信頼を得るようになる。そして1986年、彼は、まったく新しい世界初の複雑時計トゥールビヨンを作り上げた。1992年、ついに“FRANCK MULLER”自身の会社を設立。この年、当時世界で最も複雑な腕時計をはじめ、3つの世界初となる機構を組み込んだコンプリケーションを発表。わずか10年で確かな歴史を刻む、改新ブランドへと成長していったのであった。


フランク・ミュラーの代名詞、
トノウ・カーベックス

フランク・ミュラーの代表作として名高いトノウ・カーベックスのフォルム。トノウとは、左右が膨らんだ樽を意味する。
車の運転時に、視線を大きくそらすことなく、時刻を認識できるように考案されたことは、あまり知られていない。
手首に沿うようにしなやかに曲線を描くデザインは、時計本来の実用性と美しさを兼ね備えた傑作であることは、誰もが認めるところ。

優雅な表情と大人の気品。
豊かなデザイン性が、
美しく調和したウオッチ&ジュエリー

2002年に発表されたフランク・ミュラーのジュエリー・コレクション。「タリスマン」と名付けられたジュエリーは、“魔よけのお守り”を意味する。
永遠に時を告げる無限の“数字”に神秘の世界を誕生させたフランク・ミュラー。シンボルであるアラビア数字をモチーフにした独創的なジュエリーはゴールドの輝き、ダイヤの煌きによって美しく魅惑的な世界へと誘う。

天才時計師の真髄、
コンプリケーションコレクション

1986年のトゥールビヨン発表後も、数々のコンプリケーション(複雑時計)コレクションを世に送り出し、今日に至るまで多数の特許を取得。
時計の歴史を200年早めたといわれた18世紀の天才時計師アブラアン・ルイ・ブレゲの再来とまで称され、世界初となる高級時計の歴史に残る、画期的な作品を次々と世に送り出している。
旺盛な創作のエネルギーによって、21世紀の天才時計師フランク・ミュラーの野望は限りなく続く。

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ブランドヒストリー/PATEK PHILIPPE


ジュネーブ最高峰時計 パテック フィリップ

パテックフィリップの歴史は1839年、ポーランドの亡命貴族アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックとフランソワ・チャベックが設立した時計会社に始まる。


1884年、パリの万国博覧会に時計を出品したアントワーヌ・ド・パテックは、同じ博覧会で見事入賞したフランス人時計師ジャン・アドリアン・フィリップと出会った。現在、時計で一般的に用いられているリュウズ巻きを初めて実用的な形で完成させたのが、ジャン・アドリアン・フィリップである。
この改新的な機構に注目したアントワーヌはアドリアンをパートナーとして招き入れ、1851年、社名を現在の「パテック フィリップ」と改め、本格的な時計製作に乗り出した。

ヴィクトリア女王、世紀に名声を轟かせた多くの著名人たちを顧客に

この年、ロンドンで行われた万国博覧会ではパテック フィリップの懐中時計が金賞を受賞し、これを気に入ったヴィクトリア女王からさっそく注文を受けるという名誉を手にする。パテック フィリップの評判はさらに高まり、各国の王族貴族をはじめワグナー、チャイコフスキーなどの改新的な作曲家、作家ブロンテやトルストイ、ノーベル賞科学者マリー・キュリーやアインシュタイン、そしてアニメーションの天才ウォルト・ディズニーなど、時代の先端をいく著名人たちを次々に顧客にしていった。

「世界最高の価値ある時計を創る」

その時代にもっとも秀でた人物に愛されたパテック フィリップの名品。
その歴史が一流であることを物語っている。今世紀のパテック フィリップは、1933年からスターン一家が経営権を引き継ぎ現在に至っている。創業160年もの伝統を誇る、パテック フィリップ社の社是は一貫している。
“世界最高の価値ある時計を創る”。ジュネーブ最後の完全なマニファクチュールであるパテック フィリップ。同社は通常の2~3倍の手間をかけ、年間製造個数を限定し、世界最高のタイムピースを限られた人々に供給するということを理念としてあげている。また、数百年続いてきた時計文化において、つねに限界に挑戦する姿勢はトップに君臨するブランドの使命である。

史上初。
10日巻き手巻き時計にトゥールビヨンを融合


パテック フィリップはこれまで他の時計メーカーが絶対に立ち入ることのできない、聖域ともいえる驚愕の超複雑時計を数多く発表してきた。
2003年、バーゼルフェアで発表された「10デイズ トゥールビヨン」は、10日間ものパワーリザーブにトゥールビヨンを組み込んだコンプリケーション。
ケースの裏側からしかその美しい姿を見ることができないという構造は、紫外線による潤滑油の劣化を防ぐという正統な時計哲学から生まれたという。
確かな時計美学を継承し続けるからこそ、パテック フィリップはジュネーブ時計製作伝統を受け継ぐ、最後のメーカーとして君臨し続ける。

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ブランドヒストリー/PANERAI


パネライ物語
~イタリア海軍ミッションウオッチ~


今やスポーツモデルの愛好者から絶大な人気を誇る、オフィチーネパネライ。
その歴史的背景に隠された、卓越した大きなボディ、軍事時計としての要請を原点とした驚異の耐久性。伝説的な逸話を秘めたパネライは、多くの時計ファンを虜にした。
19世紀半ば、イタリア水の都フィレンツェ。街の中心を流れる川の橋脚の上にたたずむ由緒ある建築物。かつては尼僧院として使用されていたこの建物の一部を改築し、小さな時計店が誕生した。「パネライ時計店」。その店のオーナーこそ偉大なるパネライの創立者ジョヴァンニ・パネライであった。
パネライ社は、橋の拡張工事等により移転を繰り返しながらも、息子レオン・フランチェスコとともに事業の大幅な拡大を展開。経営、店舗規模は一層充実し、イタリア時計店を代表するまでの発展を遂げた。彼らの幅広い事業の功績は、イタリア軍需機構としても深く認知されるようになり、本格的なミッションウオッチ開発の要請を受け、第一次世界大戦を契機にイタリア海軍、時計納入業者として不動の地位を獲得したのであった。

最悪の状況下で発揮される機能を持つ時計こそ、本物である・・・。

精密機器の製造で功績を築いてきたパネライ社。
その実績により、イタリア海軍からの要請で、運命の命を吹き込まれたのが、パネライ社初の腕時計、ラジオミールであった。
当時、ロレックス社と密接な関係にあり、ムーヴメントには、ロレックス製のものが搭載された。
水中でのミッションに従事する特殊部隊のために開発されたため、高い視認性、耐久性を求められた。
【ラジオミール】
当時のオリジナルのデザインが、忠実に再現されている。
独特のクッションケースに一体化するワイヤーループを特徴とし、暗闇でもはっきりと時間が判別できるよう、視認性に優れ、ミッションウオッチとしての特殊な技術が多く装備された。
(イメージ写真は、当時のものとは異なります。)

イタリア海軍を支えた、パネライ社の希有な歩み

数々の軍用時計を世に送り出してきたパネライ社の傑作の中でも代表的な開発、レバー式リューズプロテクター。今や、パネライの最も特徴的なデザインの一部分であるが、摩耗などによる水の侵入を防ぐために装備され、リューズの誤作動、より高い防水性、気密性を追求した改新の変貌を果たしたのであった。
80年代以来、パネライ社は時計の開発だけではなく、海軍のシステム開発などに貢献をするなど、幅広い部分で支えとなるパイオニア的な存在となっている。
いかなる状況下においても、正確に時を刻み続けることを求められ、進化してきたパネライウオッチ。 機能性、耐久性を高めながら、その伝統を脈々と継承しながら、世界の屈強時計として君臨し続ける。

【ルミノールマリーナ】
現代のルミノールコレクションの特徴はビックフェイスにインデックスや針に蛍光物質を利用して水中や暗闇の中でも文字盤が確認できる。
今でこそ、左利き用にリューズを左側に装備した、レフトハンドモデル。
戦時中、“右手に腕時計を着用したい”、そんな潜水部隊の要望から開発された逸話モデルでもあるのだ。

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ブランドヒストリー/BVLGARI


イタリア・ルネッサンスを美しく表現する

王族、貴族、そして数々の著名人を顧客に持ち、常に多くの人々を魅了してやまないブランド、「ブルガリ」。1884年、ギリシアは古くから続く銀細工師であったソティリオ・ブルガリ(当時22歳)がイタリア・ローマのシスティーナに最初の店を構えたことに始まる。1905年、店をローマ・コンドッティ通りに移転。
現在も世界中の一流ブランドが並ぶこの通りにひときわ風格のある重厚な佇まいで健在する。
20世紀初頭。当時の宝飾界といえば、フランスの厳格な秩序を主流としたものとなっていた。ソティリオは、2人の息子たちとともにこの宝飾史の流れを改新することを決意。ギリシャやローマの古典主義、イタリア・ルネッサンスや19世紀のローマ銀細工師の開発する独特のデザインを取り入れ、独創的で大胆なスタイルを生み出した。以後、世界中多くの主要都市にブルガリショップを出店。この大きな転機は、のちにブルガリ事業を大きく発展させることとなった。
1977年、ブルガリ初の腕時計「ブルガリ・ブルガリ」を発表。以来、数多くの名品を世に送り出し、イタリアを代表する有名ブランドとして君臨する。

都会的でスタイリッシュな手元を演出するブルガリ・ブルガリ

1977年、ブルガリ初の本格腕時計として発表され、現在もブルガリを代表する人気モデル“ブルガリ・ブルガリ”。厚さ5ミリの薄型ケース、サテン仕上げのクールなブレスレット。平面なベゼルにレリーフされたブルガリロゴが印象的。

ミレニアムに誕生、長方形フォルム、レタンゴロ

2000年に発表された独創的なデザインのレッタンゴロ。1930年代のイタリア・インダストリアルのデザインを最大限に取り入れ、モダン且つ、クラシカルな魅力を演出。

ブルガリ初のスポーツモデル ディアゴノ

2000年以降誕生した、ブルガリ初めてのスポーツウオッチ、ディアゴノ。ギリシャ語でレースや球技を意味する。
また、ディアゴナル=斜めという意味合いも含み、ケースを横から見た時にベゼルが斜めになっていることを象徴するネーミングでもある。

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ブランドヒストリー/OMEGA


人類初の月面着陸、深海における限界へのチャレンジ、オリンピックをはじめとする数々の公式計時の協力など、歴史的感動の瞬間を記録してきたオメガ。その歴史は1848年、スイス時計の発祥地“ラ・ショー・ド・フォン”で、時計職人ルイ・ブランが製造のみを行う小さな時計工房を設立したのがはじまりだった。時計の世界的展開、一般層への普及という目標を目指したルイ・ブランの工房は、次第に業績も伸び、事業の拡大へと乗りだしていった。当時としては画期的とされた部品の一貫生産を採用。見事ムーブメントに一貫生産部品を組み込む事に成功したのだった。部品の規格化で互換性を持たせたオメガの方式は、極めて精度の高い時計を適正な価格で生産していくことを可能とさせていた。

1894年には、最高、究極の時計という意であるギリシア・アルファベット「Ω=オメガ」という名前をこのムーブメントに刻み込み、連続番号がつけられるようになった。

1903年には社名を「OMEGA」として正式にデビューした。その後、NASAの宇宙計画で初めて月へ降り立った腕時計として名作となった「スピードマスター」、深海探査や伝説のダイバー ジャック・マイヨール氏との密接な関係を築いた「シーマスター」、オリンピックの公式計時など、数々の感動とともに世界の舞台で幅広く活躍を遂げてきた。また、美と精度を追求した「コンステレーション」、シーマスターの派生型として優美かつ先進性を備えた「デ・ビル」など、ハイグレードなモデルを世に送り出すほか、毎年歴史的価値を持つ名品の中から1モデルづつ復刻させるなど世界中の注目を集めている。

究極の時計であるというプライド。それを持ち続けるオメガこそ、ドラマティックな感動を人々に届けられるのだ。

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ブランドヒストリー/ROGER DUBUIS


1995年スイス・ジュネーブで産声を上げた若きブランド、ロジェ・デュブイ。かつて若い時計師たちにジュネーブの伝統的な時計技術を注ぎ込んできた老練ウオッチメーカー、ロジェ・デュブイ氏とデザイナー兼、卓越したブランディングの才能を持つカルロス・ディアス氏との最強コンビが織り成す、ジュネーブ最高峰の腕時計。

最上級クラスのマニファクチュール圧倒的なインパクトと繊細さを兼ね備えた、独創性あふれるケース&ダイヤル。ジュネーブ州が定める最高品質「ジュネーブ・シール」の認証を受けた、自社一貫生産のムーブメントは、比類なき精度の高さを象徴する。
ロジェ・デュブイのマニファクチュールを手掛け、その名をブランドの名前ともするロジェ・デュブイ氏。時計師であった父親の影響を受け、腕時計の世界へ。世界最高峰と賞される機械式高級時計の工房を経、1980年には待望の個人工房を設立。オールドウオッチの復旧からコンプリケーションの製作に至るまで、腕時計の真髄を極め、真の独立時計師としてその名を轟かせていった。デュブイ氏の評判は遠くポルトガルにいたカルロス・ディアスの耳にまで届いた。ディアス氏は、前職を犠牲するのも厭わないほどに時計に深い関心を持っていたため、二人が運命的な出会いをするには時間を要すことはなかった。

1995年共同経営の企業、ソジェムSA(ロジェ・デュブイの前身)を設立。次々と斬新で独創的なモデルを発表し、時計業界に衝撃を走らせた。創立から2年後の’97年には、小さいながらも、ジュネーブ・サロンにショーケースを2台設置。1999年には、“ロジェ・デュブイSA”として自社ブースを構えるほどにまで成長していった。
全モデル最大28本(当初は1モデル25本の限定生産であったが、東洋人からのアドバイスで縁起ある数“8”を起用して28本限定となった。)の限定生産という稀少性は、創業以来、時計愛好家からファッション業界へと、瞬く間に世界中で注目を集める存在となった。

現在、トゥーマッチやシンパシーなどの名作や、ファッション界の巨匠ジャン・ガリアーノもショーで起用したいと熱烈なオファーを出したという十字架型のケース&ユニークな革ベルトが話題の新作フォローミー。古典とアバンギャルドの融合は、今や世界という大きな舞台で活躍の場を広げ、その独創性はとどまるところをしらない。

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ブランドヒストリー/TUDOR


ロレックスのディフュージョン・ブランドとして誕生したチュードル

今でこそ世界のカリスマブランドとしてその名を轟かせるロレックス社だが、その昔、創業者であるハンス・ウィルスドルフは本社であるイギリス本国での経営不振に頭を抱えていたことがあった。その打開策として誕生したのが、チュードルだ。
スポーツモデルには、ロレックスと同じオイスターケース、ムーブメントにはETA社を採用。モデルバリエーションはスタンダードからスポーツモデルまで豊富なラインナップを揃える。ロレックスの類似モデルも多く存在する中、クロノグラフを備えたクロノタイムは異なる独自の個性を放ちチュードルファンを魅了する。
拡販を目的としたコストを押えたリーズナブルな価格設定、確かな精度。本家ロレックス譲りの品質と実力を誇るだけでなく、自社のみの独自性をも強く打ち出す不変の魅力を持ち合わせたブランドである。

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ブランドヒストリー/BREITLING


航空機とともに大空へ羽ばたいた、ブライトリングの軌跡

20世紀最大の歴史的発明、ライト兄弟による動力飛行。
ブライトリング創業者であるレオン・ブライトリングもまた、ライト兄弟と同じ大空への憧れを持ち続けたひとりであった。
1884年、スイス・ジュラ地方のサンティミエ。ブライトリングの時計工房はこの地で誕生した。当初より人類が大空を羽ばたく時代を予測し、早くから「スピード」に注目していた創業者のレオンは「クロノグラフ」、「ストップウォッチ」に熱い情熱を注いでいた。
やがて本格的な航空機時代が到来、レオン自らもパイロットになりたいと夢見たが、自身の手掛ける時計で大空へ参戦することを決意した。

飛行技術が進歩する中、航空機の補助計器の装備が十分ではなかったため、必然的に時計技術も発達。
1914年、レオンの後を継いだ息子のガストン・ブライトリングは、翌年、それまでパイロットの手足に懐中クロノグラフを巻きつけていた時計を腕時計型クロノグラフに進化させた。世界初、腕時計型クロノグラフの誕生であった。その後、3代目ウィリー・ブライトリングによって、先代より開発されていたクロノグラフをスタート、ストップさせる独立したプッシュボタンのリセットを可能にさせるなど、親子三代で現在のクロノグラフの基盤となる主軸を確立した。

1936年、英国空軍とのコックピットクロックの供給を正式契約し信頼を得た同社は、その後次々と多くの航空機メーカーにも供給。航空機界にその名を轟かせていった。
回転計算尺を組み込んだ「クロノマット」、航空回転計算尺を組み込んだ「ナビタイマー」。大空を超え、宇宙計画にも採用された「コスモノート」。アナログ・デジタル複合表示を実現した「エアロスペース」―。

航空パイロットのサポートという歴史とともに進化し、宇宙開発の歴史とともに語り継がれる計時の神話。速度や距離、消費燃料などあらゆる飛行計算を可能とするパイロット クロノグラフ、ブライトリング。遠い昔、大空へと思いを馳せた創業者の夢のかたちは今も生き続けている。

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